つづく日々(人を思い出す)

含蓄もなく、滋味もなく、大きな事件も起こらない、自分のあやふやな記憶の中の日々と人々とを散漫に思い出して書きます。

粗野なふるまいとビスケットのこと

写真家か何かが、彼の友人である有名なファッションデザイナーについて語る、という本があった。その中に序文として記されていたことが妙に印象に残っている。「彼の作るセーターなんかは、荒々しく使われ、毛玉がたくさんできて、おやつに食べたクッキーのかけらがぼろぼろ付いているような、そういう使い方をしたくなる」というような話だった。

クッキーのかけらがついたセーター……汚いけれど、その粗野な感じが魅力的だと思った。きっとそのセーターは冬の間、乱雑にしかし愛情を持って使われ、春が来ると静かなクローゼットの中にしまい込まれるのだろう。

 

サリンジャーの短編に、こんなシーンがある。

「一人残されたジニーは坐ったままであたりを見まわし、サンドイッチを棄てるか隠すかするのに適当な場所はないかと探したが、誰かが入口の廊下を通って近づいて来る足音が聞えたので、彼女はサンドイッチをトップコートのポケットに押し込んだ。」

もらったのはいいものの、食べる気のないチキン・サンドを、とりあえずコートのポケットに押し込む……それだけのことなのだけど、食べ物を服のポケットに入れるというのがなんとも大雑把で、いい感じがする。

 

その荒っぽさの妙を、友人に感じたことがある。

同じ研究室の黒人なのだが、彼は論文を読みながらお菓子をつまむというのが癖だった。ある日も、研究室をうろうろしながら何かをかじっている彼の左手には、ビスケットが5枚ほど握られていた。個包装されていない、裸のビスケットを大きな手で握る。手には粉が付いている。普通の感覚ならば汚いのだけれども、なんとも、そのワイルドな感じが気に入ってしまった。“粗にして野だが卑ではない”。