つづく日々(人を思い出す)

含蓄もなく、滋味もなく、大きな事件も起こらない、自分のあやふやな記憶の中の日々と人々とを散漫に思い出して書きます。

冬のコートのポケットのこと

そして2018年が朝日とともにうっすらと住宅街を覆いました。1月1日です。おせちを食べ、冬の霜、ビールを飲み、風が吹き、鍋をつつき、土が乾いて、夕方が去り夜がきていました。

 

冬が好きな理由のひとつとして、冬服を着られるというものがあります。カシミアのマフラー、あるいはガンクラブチェックのロングコート、ブラウンのコーデュロイのパンツ、ペッカリーのグローブ、アザミのトゲで起毛させたセーター。中でも好きなものはやっぱりコートで、そのなかでも、コートのフードとポケットが好きです。

 

コートのポケットというのは、大抵あたたまっています。手を突っ込むと、ふんわりとしたぬくもりがある。しかも都合のいいことに、岩波文庫が一冊入るときている。冬の乾燥した日に、ポケットにひとつお気に入りの文庫本を突っ込んで街を歩くというのは、それはいい気分だと思う。

 

街を歩いていて、寒さから縮こまった肩や、下を向きがちな顔をただして、ふと周りを見ていると、どこもかしこもコートの群れです。メルトンのコート、ダウンジャケット、寒冷地仕様のマウンテンパーカや、分厚いブルゾン、軽やかなカシミア。街を歩く老いも若いも、そのひとり一人、それぞれのコートのポケットが、等しく、遍く、やんわりとあたたかい。おそらくあそこで歩いている老人の、あるいは仲むつまじげなカップルの、主婦の、学生の、子供の、ポケットはみなあたたかい。そう思うと、人間は平等であって、みんな根源的には同じものだろうという気がなんとなくしてくる。1月1日という日がそうさせるのか、あるいは冬のコートに魔力が宿っているのかはわからないけれど、あたりまえのことをふと意識して世間を見ると、そういう気持ちになってくるものです。

今年もよろしくお願いします。