老夫婦のことと小さな洋食屋のこと
駅前のビルの二階の小さな洋食屋。その言葉にはなんとも言えない幸せな響きがある。
「最近、少し寂れたくらいの店が好きになってきた。派手だったりきらびやかなところよりも落ち着く。大人になったのかな」町外れの中華料理屋で、大学の友人がそんなことを話した。僕はその言葉に「分かるよ」と短く答えて、駅前のビルの二階の小さな洋食屋のことを考えていた。
もう10年くらい前のことだから、僕はまだ小学生だ。店を訪れるのはいつもディナーのとき。駅の近くに立ち並ぶ小さなビル群、そこの二階にその店はあった。
狭くて急な階段を登って扉を空ける。琥珀のような明かりを照り返すローズウッド色のテーブルが並んでいる。中に入ってドアを閉めると、耳に入っていた外の車の音が消え、さっきまで見ていた汚い雑居ビルのことなどとたんに忘れてしまう。
その店は老夫婦が二人で切り盛りしていた。きっと、夫がホテルかどこかでシェフをやっていて、年老いてから独立して自分の店を持ったのだろうと思う。
落ち着いたお店だったので、動物園や遊園地のような賑やかな場所を嫌っていた小生意気な小学生の僕は、その店が全く気に入っていた。暖色照明を受けて輝くカトラリーとしっとりしたプレイスマットが、子供の僕にすごく特別な晩ご飯を期待させた。
記憶の中で、いつも僕ら家族以外のお客はいなかったように思う。行くといつも貸し切りのようで、それが食事をより特別なものにしていた。
数年して、その店は潰れてしまった。場所が悪かったのだろう。
僕はあの店でよくお肉を食べていたはずだが、思い出すのはなぜか、ステーキに添えられていたにんじんだ。多分、お肉だけではなくて、にんじんまで美味しかったことが驚きとして記憶に残っているのだと思う。
僕はいまでもにんじんが得意ではないが、プレートにぽつんと乗っているあのオレンジ色を見ると、少しだけ幸せな気持ちになる。