つづく日々(人を思い出す)

含蓄もなく、滋味もなく、大きな事件も起こらない、自分のあやふやな記憶の中の日々と人々とを散漫に思い出して書きます。

足あとのこと、痕跡のこと

テレビで十数年前の映画をみた。

クリスマス、偶然出会った男女が意気投合するも、2人はあえて連絡先を教え合わない。そこで女性がロマンチックな提案を、あるいは馬鹿げた考えを持ち出す。

5ドル紙幣に名前と電話番号を書いてお店で使う、ハードカバーの本に連絡先を書いて古本屋に売る..........もし、その紙幣や古本が巡り巡って、相手がそれを偶然手にして、また連絡が取りあえたなら、それは運命だと。結局、どんな映画だったか細部はよく覚えていない。ただ、男性が5ドル札にピンクのサインペンで自分の名前を書き込むシーンが妙に頭に残っている。

 

紙幣や古本といった、人の手を渡るもの......パブリックなものに自分の痕跡を残すというのは不思議な哀愁がある。自分の書いたものを誰かが見てくれるかもしれないし、誰の目にも留まらないまま、消えてしまうかもしれない。

 

都内に出て、いくつかの展示を見る。小さな展示会では、たいてい芳名帳やノートが置いてあって、名前と連絡先が書けるようになっている。

あの時、1日をかけて、僕はできるだけたくさんの展示を見に行き、それぞれのノートに片っ端から名前を書いた。ほんの数ヶ月前のことだ。

幸せな生活によって、記憶の居室を陣取られて、僕のことを忘れてしまった人たちが、偶然ここに来て、ノートに書かれたこの名前、この筆跡をみて、僕の声や、耳の形、ほくろの位置を思い出してくれるのではないかと思った。つまらない考えだと思いながらも。

むなしい気持ちになったからか、あるいは飽きたからか、あるいは意味を感じられなくなったのか、それは2,3回やってやめてしまった。

 

誰しも経験があるんじゃないだろうか。中学生のとき、移動教室の机にメッセージを書いたりして、あるいは、子供の時にひみつの手紙を地面に埋めたりだとか、やることのない夏休み、つまらない言葉を綴った紙片を図書館の本に挟んだり......そういうことを。きっともう、みんなすっかり消えてしまっているだろう。