つづく日々(人を思い出す)

含蓄もなく、滋味もなく、大きな事件も起こらない、自分のあやふやな記憶の中の日々と人々とを散漫に思い出して書きます。

あじさいとタイムカプセルのこと

梅雨になると、あじさいばかり。いつも注意を払っていない道端の緑が、花をつけてはじめて、実はあじさいだったのだと気がつく。結構、あじさいってたくさんあったんだな、と独り言つ。

 

昔、住んでいた庭で、きょうだいと一緒にタイムカプセルを埋めた。子供の頃だ。母の古いジュエリーボックスをもらい、その中に適当なものを詰め込んだ覚えがある。

僕らきょうだいは、それがステレオタイプなのだと分かりながら、それを避けず、あえて面白がってステレオタイプに振舞ってみる、という習性が(ごくたまに)湧き出すことがあった。そんなものだから、アイデアとしては手垢がついて陳腐になっている、「タイプカプセルに手紙を入れる」ことを喜んで採用した記憶がある。ただ、その手紙に何を書いたのか、手紙以外に何を入れたのか、もう全く思い出せない。ジュエリーボックスは木製だったから、もう箱も中身も朽ちているかもしれない。何を入れたのだろう?きっと、すごく大切なものは失くしたくないだろうから、タイムカプセルには入れないはずだ。3番目、4番目くらいに大切なものを入れたと思う。親父の部屋からくすねた海外のコインとか。

タイムカプセルは、庭のあじさいの前に埋めたのだった。もうあの家は別の人が住んでいるだろうし、僕らの持ち物でもなくなってしまったから、掘り出しにいくことも叶わない。あのあじさいはまだ咲いているだろうか。あじさいはリトマス試験紙のように、土のphで花の色を変える。あのジュエリーボックスに何が入っていたのかも、花弁の色合いで教えてくれたりしないかな。もしも海外のコインを入れていたら、くすぶった銀色や赤銅色の花を咲かせるだろう。