つづく日々(人を思い出す)

含蓄もなく、滋味もなく、大きな事件も起こらない、自分のあやふやな記憶の中の日々と人々とを散漫に思い出して書きます。

続・冷めたごはんのこと

冷めたごはんはすきですか?僕にとって忘れられない冷めたごはんの1つは、2011年3月の白身魚のフライだ。

電気・ガス・水道が止まったあの日に、僕はコンビニで、ミネラルウォーターと電池と白身魚のフライを買った。地震が来た時に、しっかりと浴槽に水をためていたし、冷蔵庫に食材もあったし、普段から2Lのミネラルウォーターのペットボトルを買い置きしてあったから、結局大したものは買わずにレジに進んだ。

その日は、夜になってもまだ余震が続いていた。部屋は真っ暗だし、避難する人がいるのか、いつもよりも車の行き来が多い。その割に、人の声は全くしない。いつもより静かに感じた夜だった。何もかもほったらかして、遠くに避難するのもいいかもしれないと思った。けど、僕は車を持っていない。さすがに自転車じゃ逃避行もできないか。

あの夜は、少し大きい余震を感じる度に、いちいちアパートの外に出て、しばらく様子を伺った。また大きな地震がきて、アパートがめちゃくちゃになるのではないかと不安だったのだ。寒いなあと思いながら駐輪場で見上げた空の星が、昨日までと全く変わっていないので、なんだか不思議だった。

部屋に戻って、白身魚のフライを食べた。懐中電灯を申し訳程度の明かりにする。白いプラスチックケースの中に、なげやりに収納されている白身魚。きつね色の衣が暗い部屋に浮かび上がっている。もちろん停電で電子レンジは使えないから、冷めたまま食べる。お世辞にも美味しいとはいえなかった。衣はしっとりしている。小気味よく「さくさく」と音を立てて食べる、のではなくて、ただ静かに「はむはむ」とほぐしていくような食べ方になった。

揺れが来る度に感じていた不安も、いつしか睡魔に打ち倒され、いつの間にか僕は眠ってしまった。翌朝、白身魚のフライが入っていた白いプラスチックケースをゴミ箱に捨てる。窓から入ってくる陽の光がフローリングを輝かせていた。照明のスイッチをつけてみる。冷蔵庫を開けてみる。まだ停電は続いているみたいだ。そりゃそうか。

さて、今日はなにをしたらいいかなあ、と思った。