つづく日々(人を思い出す)

含蓄もなく、滋味もなく、大きな事件も起こらない、自分のあやふやな記憶の中の日々と人々とを散漫に思い出して書きます。

相貌のこと

人の顔というのは、よく覚えているようで実のところうまく捕らえられていないものだ。夜のソファでひとり、はてあの人はどんな目鼻立ちだったろうと頭で考えても、はっきりとした輪郭を描くことは難しい。集中して人の顔を思い浮かべれば、限りなく精緻な靄が浮かぶけれど、やはり靄は靄である。

面白いのは、長年連れ添った家族や友人、恋人で、ふとした瞬間に、今まで気づかなかった特長を発見するときである。例えば、顎の付け根に痣がある、首元に白い毛の一本が生えている、右耳の黒子が直線状に並んでいる。何気ない瞬間にぼんやりと見つめる、ほんの5秒ほどの時間によって、未発見の新しい特長がふと顔をのぞかせる。
 
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若く小さな杏のような人である。朝日に透かされる短めの髪、薄い眉。いつも少しだけ眠たげな、ささやかに垂れた目は、親近と安心を与えるやさしげな空気を宿しており、その人の大きな魅力のひとつである。少し潤んだように見える瞳は女性らしいしぐさを持ち、それを守る睫毛は軽やかだ。鼻は算数の教科書にしばしば現れるバランスのよい三角形である。この人の特長を捉えるのに他者はよく目の形・印象を手がかりにするが、鼻も目と同じくらい、この人をこの人たるものにしている肝要な部分ではないかと思われた。やわらかな桃色のクレヨンを画用紙にさっと横一文字に押し付ける、すると口元ができる。唇は薄く、いつも笑っており、彼女の控えめな背丈とその笑顔が合わさることで、彼女にしか出せない愛らしさ、かわいらしさを生み出している。特筆すべきことのない耳になにか書き加えるなら左右で穴の形の違うことである。驚くべきは、頬に滲みもなければ黒子もないことだ。邪魔するものがなにもないおかげで、冬の寒さによってもたらされる薄紅色が頬をいっそう美しくして、まわりの空気と輪郭を優しくふやかす。喉元はやわらかな肉でうっすらとおおわれており、小動物の腹のような、ある種の弱さと、それによってもたらされる、こそばゆい不安感がある。喉仏は出ていない。首は、しょげているとき、呆れているとき、男の愚行をたしなめるときに少し傾ぐ。化粧をしていないときのほうが、いっそう人間的な美しさを見せる人である。ただただ優しげな貌である。
 
少し老いたヤギのような人である。色素の薄い家系から、やや長めの頭髪は陽に照らされると、暗いチョコレートのような、あるいは少し明るい泥炭のような色を見せる。しかし一方で太めの眉毛は黒に近い。鼻はしっかりとしていて男性的だが、積み木で組み立てたような単純な造形である。この人の鼻は途中で折れ曲がる鷲鼻である。目は奥二重だが、奥の襞は全く見えず、結局のところ一重と同じであり、顔の印象には影響していない。黒い瞳を宿す垂れ目は、よくみると左右で大きさが違っている。しかし本人以外でそのことに気がついている者は少ない。この垂れた目が、ある種の自信の無さや優柔不断さ、そして幾ばくか、人に甘えているような印象をもたらしている。しかし無表情の際はその目の効果も乏しく、話しやすい人間なのかあるいは気難しい男なのか初対面では判別がつきにくい。少し膨れた涙袋にはうっすらと隈が見え、疲れているようである。特筆することのない口元は、刻まれた皺とともに少し下がっているが、親しい人が現れると途端にゆるむ口角である。笑顔を作りすぎて口元の皺はいっそう深くなったのだろう。万年筆のインクを飛ばしたような黒子が頬にあり、顎の輪郭は乾燥した板材を思わせる。首には、ちょっとした丘陵よろしく、喉仏にしては少し成長しすぎた突起がついていて、もし首元だけで人物を判断するなら真っ先に手がかりになるであろうパーツである。達観しているようでその実、全く考えなしの子どものような人である。
 
犬のような人である、あるいは人のような犬である。毛は濃いグレー。チャコールまでいかぬが上品さを周囲に示すのに十分な濃度を備えており、その毛が顔全体をおおっている。体躯が小さいものだから、その顔も、ラグビーボールを二回り小さくした程度のサイズである。耳は肉厚で、かわいらしく上を向いて立ちあがっている。目は洋服のボタンでできており、真っ赤であるが、不思議と怖さはなく、むしろとぼけたようなかわいらしさや愛らしさを持つ。大きな鼻の下には水平線のようにまっすぐな口が現れ、目の印象と相まって何を考えているのか捕らえずらい効果を生み出していた。しかし時として、何を考えているか掴めないということが、とてつもないことを考えているかのように見えることがある。彼(あるいは彼女)がベッド脇に小さく腰掛けていたりすると、まるで遠大な哲学の命題について思索にふけっているようにも見える。体は赤く、胸元にサンタクロースの顔を象ったバッヂがついている。生まれてからこのかた、常にこの服装であったため、そこには季節感や時制といったものがなく、したがってサンタクロースというモチーフも、その意味や由来といったものが完全に摩滅し、ただ物体としてそこにあるだけとなっていた。