つづく日々(人を思い出す)

含蓄もなく、滋味もなく、大きな事件も起こらない、自分のあやふやな記憶の中の日々と人々とを散漫に思い出して書きます。

体のミサイルと子供の無邪気さのこと

子供は天性の詩人である、という言葉がある。まったくその通りで、あの小き者と一緒にいると、思いもかけない発想に驚くものだ。

 
保育園でボランティアをした時なんかは全く面白かった。ただ話しているだけで、あの小さな口から、楽しい言葉遊びがぽろぽろと生まれ落ちてくる。
「××くんは、寝込んじゃって休んでるの」「そうなんだね。風邪で寝込んでるのかな?」「うん、ネコんで.....違うの!イヌんでるの!」
こういう発想はなかなかとっさに出るもんじゃない。
 
僕は割と喉仏が出ている方で、これは普通ならば取り上げられることのない特徴なのだけれど、そういうささいなことすら子供には気になるようだ。
 
「お兄さんはなんでのどがふくらんでるの?」「なんで?」「どうして?」これはね……と答えるより早く別の男の子が「ミサイルだ!」と叫ぶ。僕はとっさの思いつきで彼に便乗することにした。「よく分かったな、この出っ張りはミサイルなんだよ。本当は2つあったんだけど、1つはもう発射しちゃったんだ」これは気に入られたようで、たくさんの小さな手がぺたぺたと僕の喉仏を触ってくる。触るとご利益のある仏像にでもなった気分だ。子供たちの黒い瞳に好奇心がまたたいていた。汗ばんだ手、暖かい手、冷えた手、日焼けした手……こんな小さな子供でも、既にめいいっぱいの個性が手のひらにつまっている。僕ははじめて自分の喉仏に意味が与えられたような気持ちになった。