つづく日々(人を思い出す)

含蓄もなく、滋味もなく、大きな事件も起こらない、自分のあやふやな記憶の中の日々と人々とを散漫に思い出して書きます。

7月の本のこと、持つこと

日付が変わった。

 

悲しみは海ではないからすっかり飲み干せる

Горе не море, выпьешь до дна.

 

こういうことわざがロシアにあるらしい。たわむれにロシアのことわざを調べていて、偶然に知った。彼らはヴォトカを何杯も飲んでいるから、飲み干すということには長けてるだろうと思った。僕は、悲しみは飲み干さず、持ち続けるのがいいと思う。

7月がきた。嵐のあった冬から、この数ヶ月、色々なことを再確認した。あるいは知った。やっぱり自分はどうしようもないクソ野郎だということ、“人は死ぬのには頑丈すぎる”こと、自分が思っている以上に自分が弱っている場合があるということ、自分が思っている以上に自分のことを気にかけてくれている人がいるということ。全部、当たり前のことかもしれないけれど。 

この前、おくりものに良さそうな本を探しにでかけた。親しい人に、なにをおくろうかと考えている時間は、人生で最も幸福なことのひとつだと思う。こういうことをしていたら、段々とまっとうな人間に戻っていくのだろうか?けれど、ぐちゃぐちゃになった傷口を治さず、その傷口と付き合い続けたいと、人は思うものじゃないかな。少なくとも、僕のまわりはそういう人が多い気がする。