つづく日々(人を思い出す)

含蓄もなく、滋味もなく、大きな事件も起こらない、自分のあやふやな記憶の中の日々と人々とを散漫に思い出して書きます。

新幹線のこと

幼いころ、僕は他の多くの子供たちと同じように、車や電車が好きであった。

特に好きだったのは、やはり新幹線であった。図鑑に載っている四角い電車たちの中で、新幹線のとがった鼻、白と青のコントラストは否応なく特別さを感じさせた。

 

僕はひたすら新幹線の絵を描いた。A3大のスケッチブックに、クレヨンやサインペンを使って、横から見た新幹線を、正面から見た新幹線を、たくさんたくさん描いた。もちろん、大好きな0系や300系は紙の中だけにとどまらず、プラレールの姿を借りて部屋中を走り回った。

 

そのうち、同じ新幹線ばかり書くのに飽きた僕は、自分のオリジナルの新幹線を描き始めた。顔の形を変え、ライトを増やし、ラインの色を変えた。僕の中で、これが最初にした「デザイン」だったろうと思う。

 

自分の描いた中で、強烈に覚えているのは、オリジナルの新幹線が鉄橋の上を走っている絵だ。茶色い岩肌があらわになった渓谷の中に赤い鉄橋が架かっている。その上を、紫のラインが描かれた鼻の長い新幹線が駆け抜ける。鋭い目をしたライトがオレンジ色に輝いている。

 

しかし、幼稚園から小学校に上がった僕の関心ごとは、次第に電車から離れていった。昼休みにやるバスケットボールだったり、友達と自転車で遠出することだったり、ブリーフからトランクスへの変化だったり、クラスメートの女の子だったり、そんなことが大事なものになっていた。いつの間にか電車への興味はなくなっていた。

 

小学校6年生のとき、修学旅行で新幹線に乗ることがあった。しかし、プラットホームで新幹線を待つ段になっても、昔の情熱はわき出してこなかった。

そこへ新幹線が現れた。

先生の点呼でプラットホームに並ぶ僕らの横を、ものすごい早さで新幹線が通過していく。ごうごうという風、レールと車輪がこすれる音、飛んでゆくたくさんの窓。僕は思わず振りかぶり、あっという間に駅を去っていく新幹線を目で追った。なぜだか僕は泣きそうになっていた。大好きだった新幹線。憧れの新幹線。その感覚はまだ僕の中に残っていた。喉の奥がきゅっとなった。