つづく日々(人を思い出す)

含蓄もなく、滋味もなく、大きな事件も起こらない、自分のあやふやな記憶の中の日々と人々とを散漫に思い出して書きます。

東京の小さな庭のこと

子どものころに住んでいた東京の家には、小さな庭があった。何でもない、本当に小さな、あるいはささやかな庭だった。

その頃、まだ僕は幼かったし、父も母も若かった。

 

庭では、よく父がゴルフの素振りをしていた。僕は窓際に座りながらそれを見ていた。ゴルフが何なのか、素振りが何の役に立つのかは分からなかったけど、僕は、休日で父が朝から家にいることを喜んでいた。

 

庭は、きょうだいと一緒にビニールプールで遊ぶ場所でもあった。母が円形の小さなプールに水をためると、僕らは大はしゃぎだった。日射しに灼かれながら、ホースで水をかけ合った。

 

庭は、秋の焼き芋をする場所だった。一斗缶に穴を開けて、中に落ち葉とさつまいもを入れ、火をつける。そんなとき、父はしばしば「たきび」を歌った。僕は「しもやけおてて」の意味が分からないままそれを聞いていた。さつまいもの味は覚えていないが、枯れ葉を飲み込んで燃える火と、灰に水をかけた時の、しゅーっという音はよく覚えている。

 

庭は、父が初めて霜について教えてくれた場所だった。冬の朝、父が僕を庭に連れ出した。庭を踏みしめると、ざくっ、という音と、ぎゅっ、という音が混じった、不思議な感触がした。これは霜といって、夜の寒いうちに草を持ち上げるんだよと、父は言っていた。

 

あの頃に比べ、いまの実家の庭は大きい。芝生もきれいに生え揃っているし、いろいろな木や花が目を楽しませてくれる。一息つきたければ、置いてあるベンチに座ってぼーっとできる。母が植えた野菜もある。すごくいい庭だ。しかし、僕の中で庭というと、やはりあの東京の小さな庭が忘れず心に浮かんでくるのだ。