つづく日々(人を思い出す)

含蓄もなく、滋味もなく、大きな事件も起こらない、自分のあやふやな記憶の中の日々と人々とを散漫に思い出して書きます。

学校近くの文房具屋のこと

幼稚園から小学校へ上がったとき、僕は学校嫌いになっていた。

熱がある風を装ったり、率直に「行きたくない!」と訴え、登校を拒否していた。

 

しかし母は強く、泣く僕を引っ張って小学校に連れて行った。僕は家の方を向いて、母は学校の方向へ、互いの腕を掴んで引っ張っていた。端からみればかなり滑稽だ。

 

そんなわけで、当時の家から学校までの徒歩5分は、短いその距離とは裏腹に、ちょっとした戦場になっていた。しかし僕はまだ子ども、大抵、母の力に負け、いつの間にか校門の前に着いてしまう。

 

その後、小学校にも慣れ、友達もできた僕は、いつしか普通に学校に行くようになっていた。結局、ただの食わず嫌いだったわけだ。

 

その時の通学路に、忘れられない駄菓子屋がある。小さな小さな駄菓子屋で、煙草を売っていたり、ガチャガチャが置いてあったりした。僕はその店が好きだった。

 

確か店員は寡黙で物腰のやわらかなおばあちゃんだったはずだ。ガラスの引き戸はいつも開いていて、中はほんのり薄暗い。

店に入ると、独特のにおいがする。狭い店内には、所狭しと商品が置いてあって、あのごちゃごちゃした感じが好きだったのだ。図鑑を見ている時のような、次から次へと物が目に飛び込んでくるあの感じが。

 

僕はそこでおもちゃの拳銃を買ってもらった。引き金を引くと、撃鉄が動いて乾いた音がする、プラスチック製のピストルだ。確か、不公平にならないようにと弟の分も一緒に買ったように思う。

 

年を重ねてから、ふと、Googleストリートビューで昔の通学路を見た。懐かしい気分になる。こんなに道路は狭かっただろうか?校門はこんなに小さかったっけ。

そして、その店はまだあった。小学校の校門から歩いて3分ぐらいのごくごく近くに店を構えている。

 

しかし驚いたことに、その店は駄菓子屋ではなく文房具屋であった。

大きな看板には、古びた「文房具」の三文字がかかっている。いつの間にか自分の記憶の中で、勝手に駄菓子屋だと思い込んでいた。

 

そういえば、あの店でお菓子を買った記憶がない。僕が好きだったあの独特においは、文房具が集まったにおいだったのだ。

鉛筆や消しゴムがひっそりと横たわっている、少し静かな店の中を思い出す。学校の帰りに、寄っていた文房具屋。紙製の粗末な箱に、ねりけしが集まって詰め込まれている。青いプラスチックの鉛筆けずりが、使われるときを待って並んでいる。

 

年上の人と喋ると、「子どもの頃に駄菓子屋に通った経験なんてないだろう」、なんてことをたまに言われたりする。

確かにそんな経験は僕にない。でも僕、文房具屋に通ってたんですよ。