つづく日々(人を思い出す)

含蓄もなく、滋味もなく、大きな事件も起こらない、自分のあやふやな記憶の中の日々と人々とを散漫に思い出して書きます。

親父のこととジョナサンのこと

僕は親父に対して、憧れと尊敬の念を持っている。文章だから書ける。言葉ではとても言えないが。

ことに幼稚園、小学校低学年の時分は、親父によく懐いていた。

 

家族がまだ東京に住んでいたころを思い出す。僕は小学校低学年の間、東京に住んでいた。そしてその幼い東京時代、僕には思い入れのある店があった。恐らく僕だけが強烈に覚えているお店。

 

その思い出の店は「ジョナサン」だ。

こう答えると、なんだファミレスじゃないか、と落胆されたりする。友達に話しても、そんなお店があるんだ、今度行ってみるよ、とはならないだろう。しかし僕にとってはまぎれもなく思い入れのある店なのだ。

 

子どもの僕には「ジョナサン」という言葉の響きと、あのストライプの柄が分かりやすくて印象に残っていたのかもしれない。もちろん、特別に感じていた理由は他にもある。

 

それは、ジョナサンに行くとき、必ず父と僕の二人だけであったということだ。記憶をたぐりよせても、家族で行った覚えがない。親父と二人きりで外食をするということが、僕の中で特別な感じを作り出していたのだと思う。

 

なぜ親父と二人きりで行っていたのか、それはよく覚えていない。父はよくゴルフの打ちっぱなしや水泳に出かけていた。子どもの僕はそれに着いていくのが大好きだった。恐らく、汗を流した帰り、小腹が空いた親父が入るのがジョナサンだったのだろう。

 

その後、転校で東京を離れて、中学校、高校と進むうちに、僕はすっかりジョナサンのことを忘れてしまっていた。思い出したのは、大学進学で再び関東に戻ってきたときだった。

 

東京を歩いているときに、ふと視界に懐かしい影が見えた。ジョナサン。瞬間、僕は一気に子ども時代に引き戻された。雑多な看板の群れの中で、それは僕に対してだけ、ひときわ目立っていた。

 

しかし、ジョナサンで親父と何を話していたのか、どうやってメニューを決めていたのか、何を食べたか、全く記憶がない。若い頃の親父の顔や表情も一向に思い出せない。

けれどあの看板を見ると、なんともいえない懐かしい、あたたかい気持ちになるのだった。

 

僕は、東京に住んでいたあの十数年前の頃から、一度もジョナサンに入っていない。成長した僕があのお店に入ってしまったら、なんとなく、何かがダメになりそうな気がするのだった。

いつかふと、入りたくなる時が来るかもしれない。そのときまでは、外から紅白のストライプを眺めるだけにとどめておこう。