おじいちゃんの赤いほくろのこと
子どものころ、おじいちゃんの赤いほくろが気になっていた。
夏、母方のおじいちゃんの家に行くと、おじいちゃんは暑いらしくタンクトップ一枚になっている。扇風機にあたりながら、テレビを見る。昼間に流れているサスペンスを見、高校野球を見る。
おじいちゃんは年老いているが、髪の毛は年をとっても健在で、そのグレーの髪と、威厳のある眉がかっこよかった。笑うと文字通り顔がしわくちゃになる。普段は寡黙の部類であった。僕はおじいちゃんの顔が好きだ。
子どもの僕は、タンクトップになったおじいちゃんの背に、赤いほくろがあるのを見つけた。少しくたっとした皮膚にのっているシミやほくろの中に、小さな赤い点があるのだ。
僕はなんとなく、その赤いほくろに、怖さと不思議さを感じていた。怪我のようでいて怪我ではない、ほくろのようでいてほくろではない。どっちつかずの赤い点。つぶしたら血がでるだろうか。
おじいちゃんは病気ではないのか?背中にあるから気付いていないだけで、実は重大な病いなのではないか。そんなことを心配して、「赤いほくろ、大丈夫?」と要領を得ぬ質問をした記憶がある。
どうやら、あの赤いほくろは、「老人性血管腫」というらしい。体に大きな害はなく、年をとると多くの人ができるものだそうだ。こうして名前が分かってしまうと、僕の中の思い出は単なる知識になってしまった。
子どものころ感じていた、赤いほくろに対する不思議な感覚はもうない。僕も年をとったら赤いほくろができるだろうか?夏にはタンクトップを着て高校野球を見ているだろうか?おじいちゃんのように孫を見られるだろうか。