つづく日々(人を思い出す)

含蓄もなく、滋味もなく、大きな事件も起こらない、自分のあやふやな記憶の中の日々と人々とを散漫に思い出して書きます。

裏庭のブラックベリーのこと

僕はいまのところ、人生で7回引っ越しをしている。

一人暮らしをする前、まだ実家に住んでいたときの、昔の家をたまに思い出す。

 

昔住んでいた実家はこじんまりとしていて、僕ら家族が住むには少々狭い家であった。その家の裏庭のこと、そこに植えてあったブラックベリーのことをたまに思い出す。

 

台所の勝手口から庭に出て、すぐ左に曲がると裏庭に入る。裏庭といっても、単なる通り道がちょっと大きくなった程度の、細長い庭である。そこにブラックベリーはあった。

 

ふさふさした緑の葉の上、絵の具を飛ばしたように赤い実がぽつぽつとなっている。洗濯物を干しに外に出ると、カラスがついばみに来ていたりする。

 

裏庭のブラックベリーは、家を建てる時に母が植えたと記憶している。いまの実家にも、昔の家にもブラックベリーは植わっていなかったので、どうしてあの家の時だけ植えたのか分からない。たぶん気まぐれだろう。

 

ブラックベリーの、あの赤くて紫で黒い実、ざくろの中身を小さくしたようなあの実。ブラックベリーが熟れると、母が裏庭からそれを摘んでくる。台所で水洗いして、白い平たいお皿に載せ、ダイニングに持ってくる。母は家事の合間にそれをつまんでいる。

 

ブラックベリーが摘まれるのはいつも昼下がりだったように思う。大抵、静かな昼下がり。僕は母が食べるブラックベリーがおいしそうで、ついつい水滴がついた小さな実に手を伸ばしてしまう。赤いものもあれば、黒いものもある。甘いものもあれば、すっぱいのもある。いや、すっぱい実にあたることばかりだった。

 

正直いって、裏庭のブラックベリーがおいしかったかまずかったか、味はあまり覚えていない。しかし、しんとしたお昼時に、母と赤い実をついばんだ記憶のおかげで、僕はすっかりブラックベリーが好きになってしまった。

 

引っ越して今は他の人が住んでいるあの昔の家の、裏庭のブラックベリーは昔と変わらず、すっぱい実をたくさんつけているのだろうか?