休日のアイロンのこと
休日、ワイシャツにまとめてアイロンをかける。畳んでいたアイロン台を立て、ワイシャツを乗せる。歌詞のないインストルメンタルを流す。アイロンが温まるのを待つ。
まず安いワイシャツからアイロンがけを始め、高いシャツは後回しにする。高いシャツはちゃんと立体的になっていて、アイロンがけが少し難しいから、調子が出てくる後の方に回すのだ。
アイロンの熱っぽさ、綿が温められた感触を指に感じて、ひたすらシャツをのばしていく。いつの間にか音楽が途切れてる。まあいいかと思いつつアイロンがけを続ける。音楽のなくなった部屋はやたらと静かで、たまにアイロンのスチームが声をあげるくらいだ。平穏すぎて、いかにも休日という感じがする。
アイロンがけはすごく象徴的な行為のように思う。よれよれのシャツが、ピンと伸ばされていく。さっきまでしわくちゃだった面影はない。袖につけられたきれいな折り目なんかは、いかにも真人間という感じだ。壊れてしまった人間が、無事に社会復帰したようにも見える。
アイロンが、しわくちゃになってしまった人間にも使えるのなら、どんなに社会は救われるだろう。心がめちゃくちゃによれていても、すぐにピンとした“正常な”人間になれる。でも、自分にはアイロンがないのだから、それは無理だろうな。喋りたいなと思ってメールしてみようと思ったけど、「何百人もいる何でもないただの知人のひとり」と自覚させられそうで、怖くてやめた。これができないならしわくちゃのシャツのままでいるしかない。
もう一度、音楽でもかけようと思った。今度は借りた曲をかける。同じ音楽を聴くことと、同じ月を見ること......それだけやって気をまぎらわそう。こうして気持ちの悪い人間の休日は終わってく。自覚症状があるだけまだマシだと思うな。